小雨日和

自分が書きたかったことをマイペースに書いていきたい

20190911

今日も気が付いたら日付変更線をまたいでしまった。

 今日はバイトのために6時に起床して適当に駒場を散策してまたバイトをしたら終わった。24時間って過ぎるのが早すぎる…

 久しぶりにカメラを持ち歩いていたので事あるごとにカメラを取り出しては写真に収めていた。午後から夜にかけて夕立がやってきて雷鳴が轟いていてそういえば夏ってこういうのが風物詩なんだよなって思いだした。夕立が去った後は一層暑いし眼鏡が曇るくらい湿度高かったし熱帯かよって思ってた。

 本当に全然関係ないけど僕は風呂場の椅子とかトイレに座ってるときとかにやたら考え事が捗るタイプだ。家族にとっては迷惑極まりない存在であることに違いない。申し訳ない。今日は風呂場で気が付いたら文字について考えてた。考えてたっていうほどの何かがあるわけではないけど文字ってすごいよなあ。人間って自分のことどう見られているのか少なからず気にする生き物であると思っているんだが、その点文字も誰か(将来の自分なども含む)に見られることを前提に使われるので人間との相性がぴったりであるように感じる。もしかすると逆で、自意識は文字を使っているうちに芽生えてきたのかもしれない。めんどくさいから調べていないけど。ともあれ、昔の自分の書いた文章をみるとき瞬間瞬間の自分の意識がそこに込められていることをひしひしと感じる。文字があるから自分がだんだん変わっていくものなんだってわかるし、かなり都合よくダブルスタンダードを振りかざしているのを思い返して恥ずかしくなるし(でも人間だからしょうがないよな)昔の自分が思ってたより頭よさそうなこと言っててわれながら感心するとかが起こるんだろう。

 そう考えると日記って優れている気がしてくる。僕はキツくなったときは、小6くらいの時に親が働いてる間に家でこっそり遊んでたのがバレてめちゃくちゃ怒られたときに書かされた反省文とか、よくわからん昔の絵日記とかを偶に読み返してゲラゲラ笑ったり昔の自分をバカにしたりしてるし、意外と精神回復する。この日記も将来の娯楽への投資なのかもなあ。性格悪いなあ自分。

 今日はローカル線のジレンマ(って勝手に僕が呼んでる)について書こうかなとか昼に思っていたはずなのに全然関係ない風呂場でふと思ったことを書いてしまったので、ローカル線の話は気が向いたらどこかで書くことにします。案外明日は気が向くかもしれない。