20190921
9/19
起きてバム部屋行ったら終わった。
9/20
C Sonnar1.5/50にハマった。
9/21
土曜。教材が届いた。やらないとなあ。ちなみにバム部屋行ったらまた1日が終わっていた。
20190918
昨日の分の日記を書き忘れた。昨日は荷物を受け取ってから水戸に行ってその後羽田で夕飯を食って帰宅した。久しぶりに結構忙しかったのでちょっと生きてるなって感じがした。
今日はリュックを新調した。今まで使っていたのは入学前に買った横開き型のリュックだったが(カメラバッグとしての用途を狙っていた)、型崩れも多少あったし旅行中15kg以上の荷物を常に輸送していることもあって底の布がそろそろ破けそうだったのでカメラバッグに買い替えた。やはり最初からドストライクなものを買うのが一番長持ちするし幸せなのかもしれない。
20190916
特になし。秋葉原のヨドバシでポイントを使ってピークデザインのハンドストラップとSDカードホルダーを買った。ピークデザインかっこいいけど全部高い。
昼飯に台湾まぜそばでも食べようと思って麺屋はるかをのぞいてみたら40人くらい並んでて笑ってしまった。僕が行ったときは大抵多くて5人くらいだったのになあ。マツコの知らない世界で先週あたりが台湾まぜそば回だったらしいのでそれが原因だと思われる。Twitterで麺屋はるかで検索すると俺たちの麺屋はるかを奪いやがって!TV許さん!悪!みたいなこと言ってるオタクがたくさんいるのでそれもまた面白かった。台湾まぜそば好きとしては早く家系ラーメンばりに台湾まぜそばが展開してくれるといいねって思う。いちいち秋葉原か御茶ノ水まで行くの面倒だし本郷に出店してくれないかな。
その後は歩いて本郷まで行って適当にやることやって終わり。
20190914
今日も起床バイト帰宅就寝のルーチンだった。別に不満ではないけど生きるってなんなんだろうなってなる。まあこれからはしばらくバイトないからちゃんと勉強する習慣をつけたい。あと折角御殿下の年パス買ってしまったのでちゃんと通いたいなあ。
暇なときとかに大変な思いをして生きてきた人たちのブログとかツイートを眺めていると、自分はかなり運のいい部類だったよなあって思うけど、それでも色々思うところはあるし多分そういうのって集団上の比較をしても意味ないんだろうな。幸せであるためには、過去の自分と比べてどれだけ今満足しているか、のような気がする。ゲオルク・ジンメルの『社会主義とペシミズム』に似たようなことが書いてあった。そうであるから資本主義に必要な加速が保たれているのではないかと思う。新しいレンズ、新しい本、新しい旅行先、新しい〇〇のためにバイトをして金を使って幸せを享受している僕は「資本主義の犬」といっても過言ではない。この世界で生きているならほかの人も大なり小なり「資本主義の犬」であるはずだ。
常に満足できない欲張りな自分。でも常に変化を求めているからこそ生き生きとできるんじゃないのか?まあよくわからないけど欲が尽きるまでは生きようかなって気分で過ごしているつもり。
20190912
昨日早起きしたのに睡眠時間が少なかった反動で10時間くらい眠って結局今日起きたのは12時頃だった。生活習慣が戻らない。
とりあえず大学に登校し、夕方から友人と御殿下のジムで運動する予定に備える。あと昨日撮った写真を取り込むためにとりあえずバムに立ち寄った。
3年生になって以降僕が一番入り浸っているのがバム部屋と呼ばれるところだ。自分用の日記なので説明はしないが、同じように写真を撮る仲間と作業をしながら駄弁る空間はかなり貴重だと思うし、かなり気に入っているのでかなりお世話になっている。
結局約束していた友人は昼寝してたらしくて来なかったので一日を睡眠とバム部屋で溶かすこととなった。バム部屋には金銭感覚のおかしい先輩が数人いるため、色んな欲しいレンズの話で盛り上がるし、気が付いたら誰かがレンズを増やしている。かくいう自分も誘惑に負けて一昨日ポチってしまった。火曜に届くらしい…
こういう話をすると、「カメラオタクだね~」と言われることがある。実際カメラやレンズの話をして盛り上がっているのだからカメラオタクに違いない。それとは別に、僕はカメラオタクと写真オタクは区別されるべきだと思う。例えば、「趣味は?」と聞かれたときにはカメラオタクも写真オタクも「写真」と答えるだろう。しかし「好きなものは?」と聞かれたら両オタクの回答は異なるものになる。ここでカメラ名やレンズ名を答えるほうがオタクっぽくて面白さがあるように僕は感じられるからカメラ名を答えることが多い(実際カメラも好きだから嘘をついてるとかじゃない)けど、願望としては僕は「写真が好き」と答えたい。僕はモノを集めるのが好きだし、機械見るのも好きだし、欲深い人間なので所有欲みたいなものも結構ある。しかし、カメラを箪笥の肥やしにして愛でまわしたくてカメラを使うようになったわけではなく、写真を撮りたいから使うようになったのだ。
写真の雰囲気が好きだ。日々の彩りをカメラの中に閉じ込める行為が好きだ。淡くぼやけたあの日の思い出が写真を見た途端に鮮明に浮かんでくる瞬間がたまらない。重たい機材を抱えてファインダーで遠くを見つめている時間を永遠に過ごしたい。たとえカメラを手にしていない時ですら、その光景を写真に収めるように心に焼き付ける。
やはり僕が好きなのは写真だと思う。というより、そうあってほしいのだ。僕は写真が好きだと思うべきだと思い込んでいる。もしかしたら僕はそんなに写真が好きなわけではないのかもしれないけど。そうだとしても、僕は写真が好きだと思い込んでいていいのだ。写真が好きだと思い込みながら写真のことを考える瞬間、カメラを愛でる瞬間に生き甲斐を感じられるのだから。