口では理解していても
生きるということはそれ以外の道を生きないということなのかもしれない。
最近小学校時代の同級生とSNS上で繋がる機会を得たので、どんな生活をしているのか気になって覗いてみた。
彼らのInstagramはキラキラしていて、そして僕のInstagramはキラキラしていなかった。
違う世界の人間だった。
小学校のころ同じ世界にいた彼らは、いつしか違う世界へと飛び立っていった。
あるいは、僕が飛び立っていったのかもしれない。
どちらにしても、どこかで袂を分かったことに変わりはない。
どこでこうなってしまったのだろう?
中学受験だろうか?そもそも本質的に違っていたのだろうか?
彼らの得たものを僕は持っていない。
彼らと同じ状況だったら僕も手に入れられたのだろうか?
違うと思う。
僕はそれを欲しかったのだろうか?
欲しかったわけでもないんだ。
人にはそれぞれ己の人生があって、それらはみな唯一無二もの。
口では理解していても、頭では理解できていないのだ。
僕は知りたい。
共学の恋愛も、部活に打ち込んだ夏も、大学生の遊びも、プログラミングも、物理も、法学も、社会学も、地球も、世界も、僕は何も知らない。
何も知らないまま生きてきてしまったのだ。
* * *
小4のころまで、僕は天才になりたかった。
そして今も、天才に憧れている。
幼いころから、僕は特段ずば抜けた生徒ではなかった。
今までの人生で一度も一番であり続けたことはなかった。
それでも僕は天才でありたかった。
何か揺るぎない軸を求めていた。
他人に認めてほしかった。
心の安寧を求めていた。
「あの人は別格だから」そういう言葉を耳にするたびに、苦しみを覚えた。
僕は別格ではないのだ。
自分が天才ではないことくらいわかっていた。
わかっていたけど嫌だった。嫌だったから逃げた。
努力もしていないのに同じ土俵に立てるはずもない。
努力していないんだから天才になれるはずもない。
そうやって逃げ続けた。
でも改めてまた目指してみようと思う。
僕は天才ではない、それは知っている。知っているのだ。
それでも。
それでも、僕は全てを知りたい。
別格でなくていい。同格であってほしいのだ。
好奇心の権化でありたい。
世界と対等でありたい。
僕の知らない世界を知っている世界にしていきたい。
好奇心を満たすために。
好奇心を満たすことが正しいと信じるために。
僕の生きた足跡を知るために。
僕の生きなかった世界を認められるように。
だから僕は天才を目指す。