文章を書くということ
僕は文章を書くことが苦手だ。
理由は分かっている。
僕は短期記憶の能力がすこぶる低い。
自分が間違って発声していた言葉を認識できないことがたまにある。
頭の中に流れてくる文章を発声したり文字化したりする過程で何を言おうとしたのか忘れてしまう。
次から次へと流れてくる脳内の音声は、そのほとんどが僕によって外部に発信されることのないまま僕の中に埋もれていってしまう。
そのことがたまらなく悲しい。
こんなにいい表現を思いついたのに。
こんなに思考をすっきりさせる考え方があったのに。
それを発信しようと思った時には既に自分の満足感や快感が残滓として残っているだけなのだ。
文章を書くということは、ゴミの山から文章を拾ってくることだ。
文章を書くということは、走り始めた僕の頭を追いかけていくことだ。
文章を書くということは、捕まえた文字を取り出して縛りつけていくことだ。
頭の中はいつも霧が覆っていて、文字が現れては消えていく。
僕はモヤモヤとしたその塊を外に出したい。
外に出して、自分でよく確認したい。
自分のことは自分が一番知っていて、それでいて結局わからない。
僕はわからないことをわかりたい。
文章を書いてもそれは伝えたいことの3割も伝えられてないだろう。
僕は一生自分のことはわからないかもしれない。
でも書かないよりいい。
文章を書くことは嫌いじゃない。
上手く書けなくとも、自分の知っている世界を何かで表現したい。
そんな自己中心的な理由で文を書いていることに幻滅しただろうか?
幻滅してもらって構わない。
きっとそれが僕なのだ。
自分が一番知りたいものは、自分なのだから。