小雨日和

自分が書きたかったことをマイペースに書いていきたい

僕の人生はまだ始まっていなかった

最初はなんのことはない、ただボタンを押すだけのことだった。

もう2Sで専門科目を履修しているのだから。

法学にも興味があるのだから。

後期課程のうちにやりたいことを見つければいいのだから。

そう思って登録した進学選択の第1段階を結局変えることはなかった。

8月24日午前10時に法学部に内定したことをUTASで確認するだけのこと。

そんなある種日常の一コマのようなたわいもない出来事だと思っていた。

だから内定を確認した時に俄かに湧き起こったその感情の塊に、自分でも戸惑いを隠せなかった。

 

悔しかったのだ。

 

別に法学部に進むことを後悔しているわけではない。

自分が法学部に進むことは現時点で一番妥当な選択だと思う。

でも、"妥当"でしかない。

 

   *   *   *

 

思えば自分の人生は"妥当"な選択に塗れていたようだ。

中学受験を終えた3月に 当時の同級生に「なんで開成じゃなくて筑駒に行くの?」と聞かれた時、僕はすぐに答えることができなかった。

その時は適当にただの御託を並べてやり過ごしたが本当は別の答えを知っていた。

偏差値が高かったから。

その当時から東大を目指していたなんてことは全然ないが、筑駒生の約半数ほどが東大に進むということも知っていた。

勿論、中学受験で偏差値が高い方に進むのは一般的だと思うし親の存在が少なからず関与していることを考えれば別に大したことではなかったのだろう。

それでも、小6の自分は自分がそんな理由で進学する中学を選んだということが認められなかった。

衡量というのは自分の選択を他人に託していることなのだ。

この日のひんやりとした焦りが脳裡に焼き付いて離れなかったのは、自分の選択から逃れているということに気づいたからなのかもしれない。


大学受験を始めたのは高2の2月であった。

それまではなんとなく地学や地理が好きだったから理系ということで生きてきたが親の助言(というか圧力)や自分の成績をみて僕は文転した。

文転は妥当な選択であった。事後的にはそう思っている。

文転して志望した先が文一だったのも東大は前期教養で志望を決めるから進路の幅が狭まりづらい、文一は文系の中では進振りで苦労しづらい、というこれもまた功利的、そして妥当な選択だった。

そうやって人生の選択の幅が段々と狭まっていってしまうのではないか。

僕の未来は混沌としていてそれでいて先細りなのだ。

五里霧中なこの先の人生は、もしかしたら早々に行き止まりになってしまうのかもしれない。

じわじわと焦燥感に蝕まれていた。

その焦燥感から大学での目標は前期教養の1年半で進路を決めるということだった。

逃げていた自分との対峙。○○かもしれない自分を○○である自分へと変える。
ならば、今の自分は何者かになっているだろうか?答えは否である。

 

筑駒に行けばこんな未来があるかもしれない、文一に進んでもこんな未来があるかもしれない、と開かれた可能性を担保しながら生きてきたが前期教養の先にはもうどん詰まりの未来しかないのだ。

もう理学部に進む世界は存在しないし社学や超域文化に進む未来も存在しない。

逃げている間にも進む道は狭まっていくし時間は不可逆だ。

理解していたつもりだったが、内定して初めて本当に理解した。

『かもしれない何か』への憧憬を捨てきれずにいることは、今の自分が未来の自分が歩む道に対して責任を取れないということなのだ。

 

   *   *   *

 

僕には夢がなかった。昔から夢がなかったのだ。

小4の時に『自分の夢』に関する作文と電話面接をする機会があり一回真剣に考えてみたが、それまでぼんやりと描いていた将来が失せ、空っぽになっただけだった。

当然選考は落ちたし、それ以来自分の夢というものが見つけられなくなっていた。

あるいは思い違いを続けていたのかもしれない。

夢はいつしか自分の前に現れてきて、それを追い求めていくものだと思っていた。

漫然と生きていても自分が恋い焦がれるような夢はみつからない。

暗闇の中から自分の手で掴みとったものを自分で育てなければならない。

それに当たり外れがあるとしても恐れてはいけない。ハズレでも愛せるようになりたい。

 

夢がある、というのはこの望まなくとも収束していく自分の未来に怯えることなく生きていける唯一の方法のように思う。

人生の収束点が自分の望んだものならばきっと素晴らしいことだろう。

進学選択で自分の夢に向かって進路を「選択」した人たちをみて、自分がひどく惨めに思えてしまった。

僕は結局進路を「選択」していない。

消去法で法学部を選択した、法学部を選択するしかできなくなっていた。

法学部に進むこと自体は悪いことではない。

意志を持たずに進もうとしていることなのだ。

後期課程に進んでまでまた消去法で進路を選択したくはない。

もうこんな後悔はこりごりだ。

そう思っているが、またやってしまうかもしれない、僕は一生選択から逃げ続けてしまうかもしれない、と思っているのも事実だ。

最初にすることは意志を持つことだ。

夢とはまでは言わないが何かを目指そうと思う。

そして僕は生み出した意志を消さないようにしなければならない。

僕はまたどこかでメリットとデメリットを衡量するだろう。

 

それでも、自分の手で選べるだろうか?

 

そのとき、一歩を踏み出せるだろうか?

 

まだ始まっていない僕の人生を、始められるのだろうか?